顔面神経麻痺の鍼灸治療




急性期の顔面神経麻痺の対処法


顔面神経麻痺

面神経麻痺の症状が出たらまずは中枢性か末梢性かを見極める

 

 顔面神経麻痺には中枢性末梢性があります。簡単に言ってしまえば、中枢性は救命救急、末梢性はできれば入院治療だけど通院治療でもOKという違いがあります。

 

 「顔面神経麻痺は何科にかかればいいの?」と迷うかもしれませんが、中枢性顔面神経麻痺は救急車を呼びますし、末梢性顔面神経麻痺の場合は、耳鼻科の領域になります。


 中枢性は、脳卒中などの脳本体のトラブルが原因になりますので生命の危機の状態にあります。一刻も早く救急車を呼び、救命救急での治療が必要になります。


 中枢性のケースでは、顔面神経麻痺の他にも、呂律が回らない・手足の麻痺・頭痛などの症状が出ますので判断できることもあります。

 

 また中枢性顔面神経麻痺は額だけは両側性の神経支配を受けているために額のシワ寄せも問題なくできます。末梢性顔面神経麻痺では唇のゆがみや瞼(まぶた)の動きの不調と一緒に額のシワ寄せもできなくなります。中枢性・末梢性のどちらかを見極める際の判断材料のひとつになります。

 


末梢性顔面神経麻痺は発症直後の迅速な対処が超重要!


 今まで多くの顔面神経麻痺(末梢性)の患者さんを治療してきて感じることがあります。それは、顔面神経麻痺の発症直後の対処が適切であったかどうか、それがとても重要だということです。

 

 病気あるあるだと思うのは、年末やGWなどの大型連休中などで病院の外来診療がお休みの時に病気が発症するケースがあります。連休明けまで待ってしまうと治療の開始が遅くなり、その分だけ炎症が重症化して顔面神経のダメージも増悪してしまいます。


 日本頭蓋顎顔面外科学会HPによれば、ステロイド治療抗ウイルス剤の投薬治療を発症後に速やかに行うことができたケースでは、8割がほぼ完治し、約2割が表情筋の動きが不十分な「不全麻痺」や異常共同運動(病的共同運動)という後遺症が残る可能性があると指摘しています。


 発症後に速やかに治療を開始できなかった場合はもっと治癒率が低下するので、やはり顔面神経麻痺を発症したら時間を置かずに一刻も早く病院へ行き、ステロイド治療を受けることが必要になります。


面神経麻痺の予後と後遺症について

 

 顔面神経麻痺の多くを占める「ベル麻痺」と「ラムゼイ・ハント症候群」の中で、ラムゼイ・ハント症候群はベル麻痺と比べて予後不良・後遺症のリスクの高さなどが言われています。


 国立感染症研究所(NIID)HPによれば、ハント症候群はベル麻痺よりも予後が不良であり、ベル麻痺の自然治癒率は70%、ハント症候群は30%としています。早期から治療を始めてもベル麻痺の治癒は90%、ハント症候群は60%です。発症後できるだけ早くから治療を開始して神経のダメージを軽減するかが治療の大切なポイントになると指摘しています。

 繰り返しになりますが、顔面神経麻痺は早期治療が超重要なのです。一秒でも早く病院に行き、ステロイドで炎症を抑えることで顔面神経へのダメージを最小限にすることが最も大切です。時には抗ウイルス薬を併用することもあります。発症直後のダメージコントロールが非常に重要です。一番理想なのは、入院してステロイドの大量点滴をすることです。

 


面神経麻痺とは

 

 顔面神経は脳と直結している12ある脳神経のひとつで、主に表情筋の運動をコントロールしています。その他にも味覚や涙腺・唾液腺の分泌などにも関わっています。顔面神経麻痺は、顔面神経がダメージを受けて麻痺することで表情筋の動きに支障が出てしまいます。


 日本頭蓋顎顔面外科学会HPにも「顔面神経麻痺」についての詳細な解説があってとても参考になりますが、顔面神経麻痺は中枢の脳からの信号がうまく伝わらなくなっている状態なので表情筋を動かすことが困難になります。完全に顔面半分が動かない状態を「完全麻痺」、充分ではないものの動く状態を「不全麻痺」と呼びます。

 


顔面神経麻痺の具体的な初期症状

 

・瞼(まぶた)の開閉がうまくできない
・口角が下がり、唇の動きも悪くなり発音が不明瞭になる
・飲食時に水がこぼれたり、食べものが麻痺側の口腔内に残る
・おでこのシワ寄せができなくなる

 


顔面神経麻痺の原因

 

 『MSDマニュアル プロフェッショナル版』HPによる顔面神経麻痺についての解説によれば、顔面神経麻痺の約半数が特発性であり、そのメカニズムは、単純ヘルペスウイルス感染症帯状疱疹などのウイルス性疾患による顔面神経の腫脹圧迫が主な原因として挙げられています。腫脹により圧迫された顔面神経は、圧力の逃げ場がない側頭骨の顔面神経管内で最も圧迫の悪影響を受け、麻痺を引き起こす、としています。

 特発性とは、原因不明という意味です。『MSDマニュアル プロフェッショナル版』によると従来は「ベル麻痺=特発性顔面神経麻痺」と考えられてきたけれども、現在では必ずしも「ベル麻痺=特発性顔面神経麻痺」ではない、とのこと。以前は、特発性=原因不明だったのが最近では、ウイルス性の原因が多くを占めているということが分かってきたということのようです。


顔面神経麻痺の回復のための鍼灸治療は早期からがオススメ

 

 前述したとおり顔面神経麻痺の発症直後の急性期はステロイド抗ウイルス薬の投薬治療が最優先になります。急性期の炎症による腫脹によって起こる顔面神経のダメージの程度を軽くできれば、症状も軽くで済み、予後も良好になります。

 

 とてもとても大事な時期ですので思い切って入院してステロイドの大量点滴を行うのが理想的です。仕事などで入院できない場合は通院治療になります。1~2週間経過して急性期が終わった頃からは投薬治療やリハビリなどと並行して鍼灸治療も行うことをオススメします。


 急性期のステロイド系抗炎症薬の治療が終わると血管拡張作用のあるATP製剤(アデホスコーワなど)やビタミンB12(メチコバールなど)の投薬治療がメインになります。

 


末梢性の顔面神経麻痺は鍼灸の適応症

 

 末梢性の顔面神経麻痺(ベル麻痺・ハント症候群・外傷性など)は、鍼灸治療の適応症になります。

 

 顔面神経麻痺の鍼灸治療も発症から早ければ早いほど治療効果が出やすく、逆に発症から長い時間経過してしまった場合は治療効果が出にくくなり、回復が困難になる傾向があります。

 

 もちろんベル麻痺なのか、ハント症候群なのかによって病気の予後は違うのですが、早めに治療開始した方が病的共同運動などの後遺症を予防したり、治りが早まったりするのではないかと感じます。顔面神経麻痺の早期回復のために鍼灸治療を上手にご活用ください。

 

 

参考文献


日本頭蓋顎顔面外科学会HP「顔面神経麻痺」
『MSDマニュアル プロフェッショナル版』による顔面神経麻痺についての解説
国立感染症研究所(NIID)HP「Ramsay Hunt症候群 ―重症例を減らすためには何が必要か―」

 

 


慢性期の顔面神経麻痺の鍼灸治療


顔面神経麻痺の急性期・亜急性期・慢性期

 末梢性顔面神経麻痺は、急性期(発症~1週間以内)・亜急性期(1週間~1ヶ月間)・慢性期(1ヶ月以降~)に区別することができます。(村上信五氏「顔面神経麻痺のリハビリテーション」PDFを参照)

 急性期の顔面神経麻痺を経て、発症から約1年ほど経過すると良くも悪くも症状が横ばいになります。長期間経過したものを「陳旧性顔面神経麻痺」と呼びます。


 顔面神経麻痺の鍼灸治療を長年治療していますが、経験的には3ヶ月以内でほぼ完治するケースと3~4か月経過しても完治せず、長期治療が必要なケースとに区別できるように思います。

 

 3ヶ月以内という比較的短期間でほぼ完治するケースでは、病的共同運動顔面拘縮は高確率で回避することができますが、発症後6~7ヶ月以上から1年かけて治癒していくケースでは長期になればなるほど病的共同運動顔面拘縮が出てしまう可能性が高くなります。顔面神経麻痺の後遺症については、顔面神経麻痺の予後診断法:ENoGをご参照ください。

 


初期~慢性期の顔面神経麻痺


 顔面神経麻痺の初期症状は「口のゆがみ」や「閉眼できない」「表情筋の不動」などがありますが、やがて回復期に入ると、口のゆがみも改善して発音しやすくなり、眼の開閉もスムーズになり、涙の分泌も増え、表情筋も少しずつ動くようになります。

 

 慢性期の症状としては、神経の迷入再生による病的共同運動顔面拘縮などがあります。顔面拘縮は程度の差こそあれ、かなりの確率で出てしまいます。順調に神経が再生し、早く回復してしまえばあまり顔面拘縮を感じないで終わるケースもありますが、人によっては早期回復してほぼ完治したにもかかわらず、顔面のこわばり感だけが残ってしまうケースもあります。顔面拘縮を予防するためにリハビリに行ったり、自宅での顔のセルフマッサージをしたりします。

 

 

 顔面拘縮と不随意運動

 

 慢性期の顔面神経麻痺のつらい症状の一つに「顔面拘縮」による顔面表情筋のこわばり感があります。顔面の麻痺によって表情筋がこわばってしまうのですが、そのメカニズムは、顔面神経がダメージを受けたことで生体防御反応が起こり、早く回復させようとして脳にある顔面神経核の興奮性亢進が起こり、表情筋を常に動かそうという信号が出ることで顔面拘縮が起こるとされています。


 顔面神経麻痺の患者さんによく見られる現象のひとつに表情筋のピクピクした動きがあります。本人の意思とは関係なく勝手に顔面の筋肉が細かくピクピク動きます。これを不随意運動と呼びます。不随意運動が起こるのは、目の周囲の筋肉だったり、唇の筋肉だったりしますが、本人は意外に気づいていないこともあります。

 


冬季の顔面神経麻痺は要注意


 顔面神経麻痺の回復のポイントは「神経の再生」をいかに効率よく促進させていくのかがほとんど全てです。顔面神経麻痺にとって適度な温熱は味方、過度の寒さは大敵です。その観点から言えば、寒い冬というのは顔面神経麻痺の回復が停滞しがちな時期になります。


 顔面神経麻痺の患者さんが実際に体験した実話ですが、冬季のバイク通勤での帰宅時に大雪が降り、それでも無理してバイクで帰ろうとしました。途中からは積雪のために走行不能となり、バイクを押しながら3時間程かけての帰宅になりました。帰宅してすぐに家族がビックリして顔面のゆがみを指摘してきました。それまでは顔面のゆがみは解消されていたのに寒さのために顔面神経麻痺が悪化してしまったのです。すこし極端な例でしたが、寒い冬の過ごし方・防寒は本当に大切です。


慢性期の顔面神経麻痺の鍼灸治療

 

顔面神経麻痺に有効なツボ(経穴)のイラスト

 

 顔面神経麻痺でよく反応がでるポイントがあります。大まかに言えば、よく反応がでるポイント=治療でよく効く経穴(ツボ)になります。上図をご覧ください。


 上図のツボ以外にも反応がでるポイントはありますが、その反応の出方には個人差があります。鍼灸治療を行う時には、その都度、反応を見ながらお灸や針をしていきます。顔面拘縮が強くでてしまっているケースでは、頬の筋肉が短縮して盛り上がってみえることもあります。お灸の温熱や微細な針刺激などで筋肉をゆるめて血流も改善させます。

 


セルフケアの顔マッサージに耳マッサージをプラス!

 

 セルフケアのマッサージでも上図のツボを参考にしていただき、やさしく押して反応があるか試してみてもよいでしょう。

 特に初期の顔面神経麻痺においては、低周波治療・粗大で強力な顔面筋運動・強すぎるマッサージなどは病的共同運動を誘発してしまう可能性がありますので優しくソフトなマッサージを心がけましょう。

 

 

 


 患者さんの中にはどうしても強めにマッサージをしてしまう人もいるので、その場合には人差し指と親指を使って耳を軽く引っ張る「耳マッサージ」をおすすめしています。

 

 

耳マッサージのイラスト

 

 耳マッサージは、耳を上・中・下の3つに区分けして、それぞれ上・中・下部をマッサージして刺激を与えます。脳から来ている顔面神経は耳下腺を貫いて耳たぶのあたりから側頭枝・頬骨枝・頬筋枝・下顎縁枝・頚枝に枝分かれしています。耳マッサージをすることで血流アップが期待できます。耳マッサージもやはり軽~く優しくソフトなマッサージをするのが大切なポイントになります。

 


顔面神経麻痺の予後診断法:ENoG(顔面神経伝導検査)


顔面神経麻痺の予後を知りたい

 

 顔面神経麻痺を発症してしまった後に思うのは「この顔面神経麻痺は本当に治るのか?」ということです。医療機関で充分な説明を受け、ENoG(顔面神経伝導検査)などの電気生理学的診断法を実施することで予後の良し悪しを知ることができます。

 


顔面神経麻痺の後遺症とは

 

・病的共同運動
・ワニの涙
・顔面拘縮
・味覚障害
・聴覚障害
・涙や唾液の分泌低下

 顔面神経麻痺の代表的な後遺症は、病的共同運動・ワニの涙・顔面拘縮などがありますが、他にも味覚障害・聴覚障害・涙や唾液の分泌低下などの症状が残ってしまう人もいます。


 病的共同運動とは、口を動かそうとして一緒に閉眼してしまうといった異常な表情筋の運動になります。顔面神経の迷入再生によって引き起こされます。過去に用いられていた低周波治療は病的共同運動を誘発する可能性が指摘されています。また強すぎるマッサージや強い筋肉の収縮運動もNGとする説が根強くあります。

 

 ワニの涙は、食べ物を食べる時に、咀嚼すると一緒に涙が流れてしまいます。これも唾液腺に行くべき神経線維が涙腺に到達して迷入再生した結果としてワニの涙の症状が出ると考えられます。

 

 味覚障害については様々なパターンがあります。麻痺側では味をほとんど感じない人、何を食べても甘味が強調される人、苦味が強調されて感じる人など個人差があるようです。順調に回復すれば味覚も正常に戻ります。


顔面神経麻痺の予後診断法:ENoG

 

 ENoG(顔面神経伝導検査)顔面神経麻痺の予後診断法として最も正確で優れた検査法であり、最も普及しています。ワーラー変性(Waller変性)と呼ばれる顔面神経のダメージは発症7日目まで変化し、それ以降はあまり変化しないので7日目以降にENoGの検査を行います。早期にENoGを実施することで顔面神経麻痺の予後を診断します。

 

神経細胞 (構造図)のイラスト

● 神経細胞 (構造図)

 


 上図をご参照ください。軸索は神経突起であり、髄鞘は軸索を包み込んでいます。電線に例えれば、軸索は伝導に関わる芯部分の銅線であり、髄鞘は芯部分の銅線を包み込むビニールなどの絶縁被膜に該当します。

 

 末梢神経障害の予後は、髄鞘の変性(脱髄)なのか、軸索の変性なのかによって決まります。髄鞘の変性だけであれば回復も比較的早くて予後良好であり、軸索の変性があるほど予後不良や後遺症の可能性が高くなります。それらを診断するのがENoG(顔面神経伝導検査)なのです。検査によって得られたENoG値は、神経変性を免れた健全な神経線維の割合を示しています。ENoG値が高いほど予後良好と判断します。


 ENoGは、顔面神経に対する電気生理学的検査法のひとつであり、他にも「強さ一時間曲線 (S-D曲線)」「神経興奮性検査(NET)」「最大興奮性検査(MST)」「誘発筋電図(evoked EMG)」「磁気刺激誘発筋電図(TMS)」「逆行性顔面神経誘発電位」「顔面神経伝導速度の測定(MCV)」「瞬目反射」「F波測定」などいろいろな検査法があります。

 


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主観的評価法
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柳原40点法(部位別評価法)

『顔面神経麻痺診療の手引き2011年版』より引用した「柳原40点法」のイラスト
●柳原40点法■『顔面神経麻痺診療の手引き2011年版』より引用

 


 1項目4点満点が10項目あるので40点法になります。項目ごとに【ほぼ正常:4点、部分麻痺:2点、高度麻痺:0点】と3段階で評価します。10点以上を「不全麻痺」、8点以下を「完全麻痺」としています。大雑把な3段階評価なので検査者によってややバラつきが出やすい傾向があるようです。

 

 柳原40点法は元々がベル麻痺・ハント症候群の麻痺を評価をするために作られた評価法です。部位別評価であることが特徴として挙げられ、日本国内では最も使用されている評価法になります。

 


House-brackmann法(概括的評価法)

 

 House-brackmann法(ハウス・ブラックマン法)は元々が聴神経腫瘍術後の麻痺の評価のために考案された評価法ですが、顔面神経麻痺の評価にも使用されています。顔面全体の表情運動を6段階で評価する方法になります。評価記載が簡便でありながら6段階評価なので評価のバラつきも少ない傾向があります。国際的には広く使用されています。ほとんど部位別評価をしない点に難がありますが、顔面全体の評価に適しています。

 


Sunnybrook法

 

 後遺症の評価に重点を置いた評価法になります。


 顔面神経麻痺の評価法には、客観的評価法と主観的評価法があります。実際の現場では、機材を使い、煩雑で手間暇がかかる「客観的評価法」よりも簡便な「主観的評価法」が多用されています。

 


予後を知りたい人は、ENoG(顔面神経伝導検査)の活用を

 

 ENoG(顔面神経伝導検査)は顔面神経麻痺の予後診断として優れた診断法にもかかわらず、顔面神経麻痺の患者さんの中でENoGで予後診断を受けた人の割合はとても低いのが実情だと感じます。医療機関での顔面神経麻痺の治療で投薬治療は必須ですが、リハビリや予後診断法についてはあまり活用されていない印象です。

 

 

参考文献


・『顔面神経麻痺診療の手引 ―Bell麻痺とHunt症候群― 2011年版』
・「顔面神経麻痺の電気的診断法」青柳優(耳鼻臨床 95: 10; 985~995, 2002)
・「臨床セミナー⑼ 顔面神経麻痺のリハビリテーション」村上信五(日耳鼻.2013)
・「顔面神経麻痺のリハビリテーション」栢森良二(日耳鼻.2013)
・「顔面神経麻痺に対する電気生理学的検査」萩森伸一(日耳鼻.2017)
・「Electroneuronographyによる末梢性顔面神経麻痺の予後判定:口輪筋と眼輪筋での検討」(日本ペインクリニック学会誌 Vol.16 No.4,2009)

 

 


顔面神経麻痺の古典的鍼灸治療 ~ 医学古典を活用しながら ~


顔面神経麻痺の古典的鍼灸治療 ~ 医学古典を活用しながら ~

 

 ① 急性期の顔面神経麻痺の対処法 でも紹介した通り、西洋医学では顔面神経麻痺を「ベル麻痺」「ラムゼイ・ハント症候群」「外傷性」などに区別し、それぞれ治癒率や予後の良し悪しなども違います。

 

 西洋医学的所見に基づく顔面神経麻痺のメカニズムは顔面神経がおもに顔面神経管内でダメージを受けることによって麻痺が引き起こされるわけですが、鍼灸医学の知見から顔面神経麻痺をどのように診て、治療するのでしょうか。医学古典を紐解きながら紹介していきたいと思います。



鍼灸古典籍に見る顔面神経麻痺とは

 

 鍼灸医学の原典に中国・漢代の著作とされる『素問』『霊枢』があります。約二千年前の漢文だらけの古典ですが、その中にも顔面神経麻痺についての記載が見られます。

 

 中枢性・末梢性のどちらの顔面神経麻痺の症状についての記述もあるのですが、顔面神経麻痺は、古典の中では「」や「」の文字で表現されることが多いので「」や「」がキーワードになります。

 

 顔面神経麻痺に関連する「」「」について『素問』『霊枢』をはじめとして医学古典を詳細に調べてみると2000年前の大昔の人も現代人と同じように顔面神経麻痺を発症していたことがわかります。

 

 

 

 『霊枢』経筋篇に見える「口僻」 ■キーワード:「足陽明之筋」「口僻」「目不開」

 

『霊枢』経筋篇の顔面神経麻痺 「口僻」の引用

●『霊枢』経筋篇 「口僻」

 


【原文】

足陽明之筋.起于中三指 …… 腹筋急.引缺盆及頬.卒口僻.急者.目不合.熱則筋縱.目不開.頬筋有寒.則急引頬移口.有熱.則筋弛縱.緩不勝收.故僻.治之以馬膏.

【書き下し文】

足陽明の筋は、中三指より起こり …… 腹筋 急(ちぢ)みて缺盆に引きて頬に及び、卒(にわ)かに口 僻(かたよ)るなり。急(ちぢ)めば、目合わず。熱あれば、筋 縱(ゆる)み、目開かざるなり。頬筋 寒あれば、急(ちぢ)みて頬に引き口を移す。熱あれば、筋 弛縱(ゆる)む。緩みて勝(あ)げて收めず。故に僻(かたよ)る。これを治むるに馬膏を以てす。

【解説】
  顔面神経麻痺の症状と一致する記述だと思います。キーワードは「足陽明之筋」「口僻」「目不開」などです。「僻」“かたよる”の意味なので「口僻」は唇のかたよりがある状態です。「目不開」は文字通り瞼(まぶた)が動かない・開かない状態です。面白いのは「これを治むるに馬膏を以てす」といって「馬膏」=今でいう馬油を塗って治すとしている点です。

 

 鍼灸医学から診た顔面神経麻痺のメカニズムとしては、腹筋が収縮して缺盆(鎖骨の中央上側にあるツボ)や頬の筋肉が引っ張られることで口のゆがみや瞼(まぶた)が動かないなどの症状が出ると考えていたようです。現在のトリガーポイント筋膜リリースの考え方に通じるものがありますが、現代医学の顔面神経麻痺の捉え方とは異なります。

 一番親しみのない言葉が「足陽明之筋」だと思います。「足陽明の筋」とは12ある経脉のうちの一つが「足陽明(経脉)」「筋」経筋と呼ばれます。なので「足陽明之筋」とは足陽明の経筋になります。「足陽明経脉」については下の図を参照してください。経筋は経脉の支配領域にあります。同じ『霊枢』の経脉篇でも「胃足陽明之脉」の病症のひとつとして「口喎脣胗」が挙げられています。やはり「足陽明之筋」「足陽明之脉」と顔面神経麻痺(「口僻」「口喎」)との深い関連性を見ることができます。

足陽明胃経脈の気の流れのイラストで『類経図翼』三巻・足陽明胃經圖註の引用

●『類経図翼』三巻・足陽明胃經圖註

 


 上図『類経図翼』足陽明胃經)を見ると、目の下にある承泣という名の経穴(ツボ)から始まり、頬や首そして缺盆を通って胸や腹を下り、さらに太腿(ふともも)を下って足の指までの流れになっています。その意味するところは「足陽明経脉」は顔面から足先まで関連しているということです。そのような訳で、顔面神経麻痺の顔面の症状に対して足の指や脛(すね)にあるツボを使って治療したりするのです。

 

 前述した通り『霊枢』経脉篇という別の篇でも「胃足陽明之脉」と「口喎」が関連付けられています。足陽明経脉は五臓六腑の中の「」と強い関係があると考えられているために「胃足陽明之脉」となっています。

 

 以上からも鍼灸医学では顔面神経麻痺足陽明経脉が強い関係性があることが分かります。顔面神経麻痺の治療のポイントとしても顔面の経穴はもちろん足陽明経脉のルート上の経穴(ツボ)も一緒に使用することが大切になります。

 
『甲乙経』卷之二・經筋第六 ■キーワード:「足之陽明」「手之太陽」

 

 

『甲乙経』卷之二・經筋第六(京都大学附属図書館所蔵)の顔面神経麻痺の記述の抜粋

●『甲乙経』卷之二・經筋第六(京都大学附属図書館所蔵)より抜粋

 

 

【原文】
足之陽明.手之太陽.筋急則口目爲之僻.目眥急.不能卒視.治此皆如右方也.

【書き下し文】

足の陽明、手の太陽、筋 急(ちぢ)めば口目これがために僻(かたよ)り、目眥(まなじり)急(ちぢ)み、卒(にわ)かに視るあたわず。これを治むるは皆右の方のごとし。

【解説】
 ここでは「足之陽明」と「手之太陽」が顔面神経麻痺と関わっているという記述になります。

 前述した『霊枢』の経筋篇では足之陽明(之筋」と顔面神経麻痺との深い関係性について触れましたが、ここでは手之太陽」との関連性についても言及されています。手之太陽(小腸経脉)」については下図をご参照ください。手の小指からはじまり腕・肩・首・頬を通り、耳までつながっています。頬や耳の経穴(ツボ)は実際の顔面神経麻痺の治療でも大切なポイントになります。

 

 

手太陽小腸経脈の気の流れのイラストで『類経図翼』三巻・手太陽小腸經圖註を引用

●『類経図翼』三巻・手太陽小腸經圖註

 

 
『外台秘要』に見る顔面神経麻痺に対する経穴の用例

 『外台秘要』は王燾による著作で唐の時代・天宝11年 (752年)に刊行された医学書ですが、様々な病気についての経穴の用例が書かれています。その中にはもちろん顔面神経麻痺についての用例もありますので紹介します。

 

 

顔面神経麻痺に効果的な経穴の用例「経脉別」一覧表

 

  『外台秘要』巻三十九の顔面神経麻痺に有効なツボ(経穴)の一覧表

 

  結論から書きます。『外台秘要』巻三十九に経穴(ツボ)のことがまとめて解説されていますが、顔面神経麻痺に関連する「」「」の記述が全22例あります。

 

 「胃足陽明之脉」の経穴の用例が8例と最多なのは前述の説(「足陽明」と顔面神経麻痺の深い関連性)と一致します。「大腸手陽明之脉」の経穴が4例で2番目に多く、手・足の陽明合計12例となり、全22例の過半数になります。『甲乙経』(卷之二・經筋第六)で言っていた「足之陽明」「手之太陽」と顔面神経麻痺との関連性については「手之太陽(小腸)」は『外台秘要』には一例も用例が無いのですが、「手之太陽(小腸経脉)」も首・顔面を通って耳までの流れがありますし、そのライン上にある顔面のツボ(顴髎穴・聴宮など)は実際の鍼灸治療でもよく使います。

 

 上図『類経図翼』手太陽小腸經)をご覧ください。実は、顔面にある顴髎のツボは『外台秘要』では三焦経に属していることになっていますが、上図で掲載している『類経図翼』(明代・張介賓の著作)や同時代の『鍼灸聚英』(明代・高武)などでは手太陽小腸経に所属しています。現在の鍼灸学校で使用されている教科書『経絡経穴概論』(医道の日本社)でも手太陽小腸経に属しています。

 

 

顔面神経麻痺の鍼灸治療は顔面だけではなく手足のツボも一緒に


 下記の通り、顔面神経麻痺の鍼灸治療では顔面・頭部のツボをよく使っていることが分かります。一方で手足のツボも少なからず使っています。顔や頭のツボと手足や腕のツボなどを効率よく織り交ぜて使用しながら治療していくのが良いのではないかと感じています。

 

『外台秘要』が掲載する顔面神経麻痺に効果的な経穴の用例「部位別」一覧表

 

 顔面神経麻痺の鍼灸治療を経験してきて感じることは、首・肩や肩甲骨まわりの頑固なコリのある方がほとんどだということです。なので顔面神経麻痺の治療には首・肩こりへの施術も欠かせません。これは多くの顔面神経麻痺の患者さんに共通するポイントです。その中には、首・肩こりが重症化しすぎてご本人が無自覚のケースも少なくありません。首・肩こりはある程度のコリまではツラさを感じるのですが、重症化してしまうとコリがあるのにツラさを感じなくなることがあります。それを放置したままにすると数年や十数年も後になってから大きな症状として出ることもあり得ます。

 

 首・肩こりの改善は顔面への血流アップにもつながります。顔面神経を栄養するのは血液であり、血流不足は回復を遅くします。いかに顔面への血流を良くして顔面神経へ充分に栄養を送り、神経再生を促すかが早期回復にとって重要なポイントになると考えています。逆に、冬の寒い時期を迎えて顔面の冷えが続いてしまうと回復が停滞しがちになります。その意味では夏の過度な冷房もマイナス要因になります。

 

 顔面神経麻痺は早めに治療するほど治癒率も高く、後遺症も予防しやすくなります。西洋医学のステロイドなどによる急性期の初期治療を終えた7~14日目以降から鍼灸治療をスタートさせることで顔面神経麻痺の改善に少しでもお役に立てればと思っております。

 

 

 

参考文献

 

・『素問・霊枢』日本経絡学会
・『甲乙経』卷之二・經筋第六(京都大学附属図書館所蔵)
・『張氏類経・張氏類経図翼』東豐書店 印行
・『鍼灸資生經・十四經發揮 合刊』旋風出版社 印行
・『外台秘要』人民衛生出版社